Gary Burton & Keith Jarrett評価:★★★★
G.バートン氏(vib)の'71年作(Gary Burton & Keith Jarrett)と'69年作(Throb)を2 in 1にカップリング。どういう脈絡でこの2作品がカップリングされたのかは?ですが。 多くの方はやはり”Gary Burton & Keith Jarrett”に注目されるかと思います。 如何にもごく初期のジャズ・ロックっぽさが堪らない(^^;[1]で”へぇ、K.ジャレットってこんな風にロックっぽく弾くのか”と、なんだか嬉しくなります。尤も、当人は”若気の至り”と言うかもしれませんが。 #ジャケットに写る姿もアフロ・ヘアーだし(^^; ブルースチックな[2]もなんともいい感じです。こうしてみると、1曲(S.スワロウ作)を除いて全てK.ジャレット作なのですね。未だその作品をしっかりと聴いたことはない私ですが、なんかとっても親近感が沸いてきます。そのS.スワロウ(b)作の[3]ではK.ジャレットのssプレーも聴けます。 プログレッシヴなG.バートン氏との共演が生んだ名作と言えるでしょうか(^^;。初期のジャズロックが持つ、何とも”いなたい”音が好きな方にお勧めです。 もう一方の”Throb”はG.バートン氏のソロ作品ですが、こちらも感触的には同じような趣です。ひょっとして、通して聴いてもそれ程違和感が無いという点でカップリングされたのでしょうか? 個人的には非常に好きな音ですので、(本当はいけないのですが)BGM的にもよくCDプレーヤーにセットしています。 |
Sacred Hymns評価:★★★
国内で正式にリリースされているグルジェフ関連の楽曲は少ないので、どんなものでもグルジェフの音楽が聴きたい人間にとっては聴くべきアルバム。 いつものキース・ジャレットのアルバムを連想して期待しているリスナーにとっては、期待外れに感じるように思います。 キース・ジャレットのアルバムなら何でも欲しいという人なら推薦。ピアノ的には、自己顕示欲の強いキース・ジャレットなので、演奏にもそれが現れている気がする。 グルジェフに関するオリジナルの楽曲を聴きたいという人間には、弟子が演奏したアルバムの方が音がリアルに感じる気がします。 |
Spirits 1 & 2評価:★★★
この作品について自伝の中でキースはこう言っている。『スピリッツ』は、あるところで溺れかけた事から生まれたんだ。そこでぼくは別のところに浮かびあがることができたというわけだ。溺れる事を忘れることなく、溺死することもなく。 1985年の初め、キースはクラッシックの世界にすっかり失望していて、すっかり鬱になってしまっていた。そこで彼が手に取ったのは民族音楽の楽器だった。このアルバムはそういったキースが自らに癒しが必要であった時の様子を残したアルバムだ。 できるだけヨーロッパのクラッシック音楽と距離を置こうとする音楽。 歯医者の予約の間もその中の一曲をずつと口ずさんでいたという話だ。キースの一面が出た希有なアルバムだ。 |
Fort Yawuh評価:★★★★
長らく熱心に聞きませんなんだのは、出だしの(If The) Misfits (Wear It)のイントロが蚊が鳴くようでうるさく、おまけに純正アメカルテイスト炸裂のどしゃドシャバッシャ−ンンバンバンバガゴゴエ−!とばかりのフリージャズだったため、少し腰砕けだったのだ。しかし、改めて聞いてみると、ミステリーズや残氓part1を思わせるウツクシ哀しい2のタイトルチューン。3はまぬけなベースラインでスタートするからわからないけど、アップテンポになったところで走りまわるキースのピアノは素晴らしく躍動的であり、美しいピアノソロで始まる4はどこかバースを思わせ、心の瞳のアンコールよりもぐっとくる。なかなかであるぞフォートヤウ!と見直した次第。難点はパーカッションがチャコチャコうるさすぎる点。こういう怪しい音楽はユーロカルのヌードアンツ(収録も同じビレッジヴァンガードですな)にも通じるのだが、よりげんなり落ち着かないのはこのチャゴチャゴ音のせいである。 |
Bye Bye Blackbird評価:★★★★★
普段キースのスタンダーズトリオを聴いていて、特にマイルス風だと感じることはないが、本作はマイルス追悼作として、マイルス風の展開を含んだ曲、マイルスゆかりの曲が並んでいる。しかし、トリオでないと聴けない音である。You won't forget meは静かなピアノの主題から次第に盛り上がる。サポートするベース、ドラム共に高いセンスに溢れている。Butch and butchは奔放なマイルス的フレーズが随所に聴かれる。For Milesは2001年4月のトリオのコンサート(東京)と似て、ドラムのソロから入り、ベースが入ってくる。ピアノの奏でる旋律は孤独な、All Bluesを思わせるものだが、上記コンサートでのようにフリー的ではない。リズムが自由に展開していくところが、マイルス的である。I thought about you, Bye bye Blackbird, Straight no chaser等はマイルスゆかりの曲。追悼作でさえ、トリオの魅力がより引き立っている、というのは本当に素晴らしいことだと思う。 |
Changeless評価:★★★★
1987年10月録音。1曲目が14日のデンバー、2曲目が11日のダラス、3曲目が9日のレキシントン、4曲目が12日のヒューストンのライブというイイトコ取りのアルバム。Dieter Rehmデザインの『○』のアルバムジャケットが物語るように、短い『素』なセンテンスを組み合わせて曲を構成していくというスタンスが全曲にある。 円熟なれど新しさも感じる。 |
Arbour Zena評価:★★★★★
モーツアルトのコンチェルトを筆頭に数多くのオーケストラとの共演作があるキースだが、このアルバムが一番の出来栄えだろう。特に2曲目の「ソーラー・マーチ」が傑作。キースのフレーズが消えることなくオーケストラと溶け込んでいる。20年来の愛聴盤。 |
The Melody At Night, With You評価:★★
このアルバム、世間の評価か異常に高いなかこういうことをいうのもなんだが、個人的には「キースも年をとちゃったのかな」ということ。 キースが難病を克服したの、すべったのころんだのだとして語られるアルバムだが、私の耳にはただのイージーリスニングにしか聴こえない。ソロで初めてスタンダードを演奏したというが、いまさら「それが、どーした」というのだ。スタンダードを聴きたければ、トリオでさんざんやってるし、アルバムもくさるほどある。さらに問題なのは、スタンダーズにおける、いつものスタンダード曲をクールかつ独創的に切り刻むという、厳しい視点も全く感じられないという点だ。要はただ、一人でピアノを弾きました、スタンダードを演奏しました、それだけのことであり、そりゃいくらコンディションが悪いからといって、キースがピアノを弾けばこの程度の演奏はいつでもできるのは当たり前だ。私が期待しているような「ケルン」や「フェイシングユー」または他のアルバムで聴かれるようなキース独自の圧倒的な個性、独自の視点は全く感じられない。
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モーニン −ベスト・オブ・アート・ブレイキー評価:★★★★★
キース・ジャレットのファンなので、演奏者のところに彼の名前があるために購入しました。彼がジャズ・メッセンジャーズに属していたことは何かで聞いたことがあったのですが、実際このバンドでの演奏は聞いたことがなかったからです。また、彼がI remember ClifordやWisper notをトリオでのコンサートで取りあげているので、聞き比べの興味もありました。が、彼が演奏しているのはMy romanceだけ、とCDライナーでの解説で分かり、少々がっかりしました。しかし、魅力は別のところにありました。My romanceでのキースの叙情的でスキのない名人芸的ソロはもちろん好きですが、やはりNight in Tunisiaのライブの迫力は凄い!スタジオ版とは違った、原始的なリズムと管の織りなす激しいフレーズに圧倒されました。 |
ブレゲンツ・コンサート評価:★★★★★
このソロコンサートはCD化されているキースの作品ではおそらく唯一の、明るい希望に満ちたソロだと思います。他の作品は省察なり、寂しさと対峙することで美を見い出していくような感を受けますが、本作品は、ネアカというか、喜びに満ちています。明るさの中で、彼の共通のテーマである素朴なフォーク的メロディを聴くと、本当に希望が湧いてきますよ。私はテープに録音して、自動車でも聴いています。アンコールの「ハートランド」は別のCD(やレーザーディスク)でも聴かれるものだと思いますが、やはり人間性に満ちています。実演でも「ハートランド」を聴きたいです! |
宝島評価:★★★★★
ギターやパーカッションも入った、曲もバラエティに富んだてんこもりの楽しいアルバム。グルービーに盛り上がる「ブルーストリーク」やギターがさわやかな「宝島」等でいつものキースとは違う点が強調されているが、私は「フールズオブオールオブアス」や「アングルス」で、前衛的に乗っている点が特に楽しめた。隠し味とでもいうのか、良く聞いているとパーカッションが楽しいリズムを打って、存在感をアピールしている。 |
ウィーン・コンサート評価:★★★★
静謐な演奏である。キースのソロコンサートのCDでは時折枠から外れて自由奔放に主題が推移するが、この演奏は構成が守られ、スタジオ録音「Staircase」の拡大版のような、ややクラシック音楽のような演奏が聴かれる。第1部ではゆっくりした主題から展開していき、テンポが変わっていくときのピアノの技巧が時に楽しめた。第2部では、やや和風の旋律が聴かれるのも、「Staircase」2枚めの演奏と共通部分があって面白い。 |
アット・ザ・ブルーノート、ザ・コンプリート・レコーディング評価:★★★★★
サンベアに続き6枚組、けっして買うまい、と思っていたにもかかわらず、買ってしまう。それでまた、ゲップが出るほど満足させていただく、これが標準亭奇異州庵の懐石料理のうれしいところ。どうせ、ジャズだしスタンダードだし、という予見を裏切ってクラシックからゴスペルまで激しい振幅で楽しませてくれる三人の料理人の手管には圧倒される。もちろん花板の奇異州単独の羆料理ほどのドラマやダイナミズムはあり得ないんだけど、よくも別々の知性を持った三人が三日間6回38曲(うちダブリは3曲)CD6枚分も手を変え品を替え演奏し続けたものである。似たような企画にマイルスのプラグドニッケル、エヴァンスのコンセクレーションズがあるが、こっちはいいとこ録りするためにテープ回していたものを「せっくだから全部出しましょう」となったものだ。サンベアもどっちかといえばそれであり(しかもコンプリートではない)むしろこのセットは2日で4枚分25曲を収録したマイルスのマラソンセッションに近い。その上で、目前に金を取っている常に客がいて、全てワンテイクでやらざるを得ないスタンダーズという連中の凄さは筆舌に達しがたいのものがある。うれしいのは最近のフリー演奏意外では滅多にやらない20分を超える長尺演奏が多数含まれること、No Lonely Nightsをはじめ充分メロディアスなキースオリジナルを多数含んでいること。個人的にはこのころの長尺ピアノソロにピーコック/デジョネットが絡んでいきチェンジレス風繰り返し展開にはまっていくスタンダーズが好きだ。枯葉をはじめとする長尺演奏はそういう魅力がいっぱいである。 |
ソロ・コンサート評価:★★★★★
最初に買ったときは、LPで3枚組みでした。当時、ピアノ・ソロで3枚組みというのは信じられない企画でした。しかし、ここでの演奏は美の極地です。現在、CD2枚組みになり、LPのときにフェードアウトして次に盤に移っていた部分が解消され、すっきりしました。ただ、もしソロ・ピアノが初めてならザ・ケルン・コンサートから入っても良いかも知れませんね。 |
ステアケイス評価:★★★★★
珍しく、ソロなのにスタジオ録音、しかも2枚組ということで、何やら随筆集のような味わいがあった。具体的な絵的イメージはないが、短編映画をつないで見ているような気持ちにもなる。とくに好きなのは1枚めの録音で、きりりとしまったピアノの音が鋭く主題を表現する。厳しい表現だが、最後には解放が待っている。その意味では、ステアケイス、砂時計、それぞれ巧みに全体構成されているのであろう。2枚めはやや複雑な表現ながら、張り詰めた音の世界、解放へ向かう音の変化に身を委ねて楽しむことにした。 |
サンベア・コンサート評価:★★★★
キース・ジャレットのソロについてのレビューを書くにあたっては、ついつい''ケルン''を引き合いにして比べてしまう自分に気がつきます。でも、今はもうケルンはケルンとして独立したものと、考えるようにしています。キースは何枚かのクラシックを録音していますが、それらどれもが彼なりの解釈で弾かれていてとても興味深いものです。ソロは譜面を元にしてのものではありませんが、日本ツアーにおいてそれぞれの都市でのそのときの「想い」をしっかりと表現できているのだと思います。散漫で退屈に聞こえる部分も時として「ハッ!」とさせられるリリシズムもその場のキースそのものです。一度ならず何度となく聴いて行くうちに、キースに深化して行くことでしょう! |
祈り−グルジェフの世界評価:★★★
1980年3月Tonstudio Bauer,Lodwigsburgで録音。時期的には『The Celestial Hawk』とほぼ同時期である。ギリシャ正教会の教義を継続するロシアは20世紀に大きな影響を与えた3人の神秘思想家を生んだ。ヘレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァツキー(1831-1891)、ニコライ・リョーリフ(1874-1947)、そしてゲオルグ・イワノヴィチ・グルシェフ(1877?-1949)である。キースはグルシェフに極めて深く傾倒していた。 キースのグルシェフへの傾倒はチャールズ・ロイドの影響だ。ロイド・カルテットに在籍中飛行機の中でロイドがその頃ぞっこんだった1200ページに及ぶウスペンスキーの『奇跡を求めて』を読んだことに始まる。この中の音楽に関する章に感銘を受け、以後グルシェフの思想にどっぷりはまっていく。 本作はみずからオルガンの即興演奏もおこなったというグルシェフの作品をトーマス・デ・ハルトマン楽譜にしたものをキースが演奏しているものである。その音楽はまるでキースのオリジナルかと耳を疑うくらいそっくりである。 なお、神秘思想家の3人のうち、ブラヴァツキーに深い影響を受けた人物にあのスクリャービンがいたことを付け加えたい。 |
パリ・コンサート評価:★★★
キースジャレットのソロというとレストレーションルーインを浮かべる人はもちろんまずいなくて(笑)結局はケルンかこのパリコンサートにイメージが集約される人が多いのではないでしょうか。やっぱり、のっけからメロディがキレイだもの。ところでケルンはR&Bというかゴスペルというかアメリカンな物がなしさでくるけど、パリーはもろバッハというかバロックというか、クラシカルであります。霧雨のお昼時の歯医者さんなんかで流れていそうなメロディーで幕を開け、ヨーロッパ系かなしさびしモノクロ映画的世界が続く。果てしなくしんみりしてくると、悪意の感じられるベース音が響きもうこの世もおしまいダー!という感じになってしまう。キースのソロコンサートでは楽しげとはいえないまでも躍動感あるパートが(あのダークインターバルでさえ)あるものだが、パリーはひたすらもの悲しい。3曲目のブルースは真っ当なブルースなのだが意外なくらい真っ当でつまらない。つかれていたのだろうか? |
スタンダーズ・イン・ノルウェイ評価:★★★★★
キースのCDにしては、日本ではあまり知られていないようであるが、高地に咲く高山植物の花のような一見めだたないがきれいで分かりやすい曲がちりばめられている。Little Girl Blueの静かで美しいメロディ。Love is a Many Splendored Thingはミュージカルからの曲であろうか、楽しい舞台の雰囲気が伝わってくるような演奏である。そして続くDedicated to youは静かな主題から始まり、少人数クラブでの演奏のようにトリオが淡々と演奏する。総じて、肩の凝らない、スタンダード各曲を心いくまで楽しめるくつろいだ演奏といえると思う。 |
サムホエア・ビフォー評価:★★★★
1968年作品。古いのと、少人数のクラブのようなところの演奏であるため、録音は最近のものほど良くない。しかし、今のキースからは決して聴けないような、若さ溢れる演奏が聴ける。Pretty balladは知的でクールなバラード。Moving soonは技巧的なピアノが前衛的に駆け巡るような感のする小品。New ragはブラウン=ローチコンビの曲のような、シンプルなテンポの曲。A moment for tearsはヨーロッピアンカルテットで後ほどよく聴かれるような、キース初期のシリアスな曲調。最後、Old ragはミュージカル風アップテンポな曲で、今では聴けないような荒々しいがライブ感溢れるピアノが楽しい。 |
ザ・ケルン・コンサート評価:★★★★★
キースのCDでは最も有名な作品らしく、最近では自動車のコマーシャルに使われていて驚いています。でも、本作品はややハープシコートのような音色のオルガンで、ノスタルジックで素朴なメロディを純粋に紡いだもの。即興なのに、何度もCDとして聴いてみると、どうして全体構成ができているのか不思議です。キースのCDは中には難しいのもありますが、本作品は分かりやすく誘ってくれる、それでいて即興、という作品だと思います |
ステアケイス評価:★★★★★
世界中を旅する様々なプロミュージシャンの中で、唯一ピアニストだけは自分の楽器を持っていけない、ということをどこかのピアニストが書いていたが(え?パイプオルガンのほうが持っていけない?まぁ、かたいことはおいといて)キースほどの大御所でもそれはしかり。各地でのコンサートは初対面のピアノとの出会いでもあるわけだ。あの有名なケルンコンサートのピアノは実は最悪で、まともに音の出る中音域で勝負した結果だとか。その辺が少なくとも前知識のあるスタジオでの録音と大きく違うところだろう。乱暴に言ってみればキースのソロコンサートは「試し弾き」である。さて、この素晴らしいステアケイスは映画音楽のディレクションのために滞在したパリのレコーディングスタジオで偶然見つけた最高級のピアノに一目惚れしたキースが思わず衝動的に録音した2枚組!ということだ。それなのにこの美しさ、この奥深さ、この落ち着きは何であろう。美しいメロディが繰り返し繰り出される小品たち。普通ソロコンサートであれば悪く言えば場繋ぎ的な反復の中から次の至福が浮かんでくる、というのがいつものキースの手だが、ここではそんな回りくどいことはいらないのである。ソロコンサートの「こりゃあどうだ?」「ほう、じゃ、こんならどうする?」の各断片がほとんど素直に現れている。こんなに素晴らしい「試し弾き」が他にあるだろうか。 |
ブレゲンツ・コンサート評価:★★★★★
このソロコンサートはCD化されているキースの作品ではおそらく唯一の、明るい希望に満ちたソロだと思います。他の作品は省察なり、寂しさと対峙することで美を見い出していくような感を受けますが、本作品は、ネアカというか、喜びに満ちています。明るさの中で、彼の共通のテーマである素朴なフォーク的メロディを聴くと、本当に希望が湧いてきますよ。私はテープに録音して、自動車でも聴いています。アンコールの「ハートランド」は別のCD(やレーザーディスク)でも聴かれるものだと思いますが、やはり人間性に満ちています。実演でも「ハートランド」を聴きたいです! |
インサイド・アウト評価:★★★★★
4月のコンサートで、キース・トリオの原曲をとりはらった自由演奏を初めて聴きました。このロンドンでのライブはその演奏を思い出させてくれる、最高にハッピーな一枚です。グルービーな主題、テンポのいい主題から入り、叙情的で端正なピアノが第2部のように入ってくるパターンの曲になっています。自由演奏とはいっても、例えば後期のマイルスやまた調性も判然としないような難解なものではなく、そこはキースらしく、ジャズらしい乗りから美しく、細やかな旋律、リズムでまとめていきます。このパターンはキースのソロではひとつの定型になっており、さらにベースとドラムのソロ、インタープレイがある分、より楽しめる録音になっています。何度も繰り返して聴こうと思っています。極論すれば、これを聴−−−ていないものは、ジャズファンとはいえない、とさえいえる、最高の作品だと思います。 |
オールウェイズ・レット・ミー・ゴー評価:★★★★★
2001年4月東京でのライブ。 1997年初めから99年初めまでの2年間、『慢性疲労症候群』という病魔に冒され音楽活動の休止を余儀なくされたキース。『The Melody At Night,With You』は自宅で録音できるまで回復、『Whisper Not』ではスタンダーズとしてライブに立ち、スタンダード・ナンバーを演奏できるまでに復活。そして『Inside Out』では、アンコールを除いて全てを3人のインプロビゼーションという、新たな挑戦を始めるまで復活を遂げた。2001年4月23日−30日まで5夜のライブでは、5分の2はインプロビゼーション、5分の3はスタンダードナンバーという構成だった。本作はその内の5分の2のインプロビゼーションにあたるアルバムとなっている。 『生きて、演奏していくこと』のエネルギーを徐々に挑戦していくエネルギーにまで昇華していく。そこに出来上がっていく音楽、予想すらできない展開をスタンダーズは残していく。 |
マイ・ソング評価:★★★★★
25年前、ジャズ喫茶に入り浸りの毎日、カウンターに置いてあったレコードジャケット、アジアの町並みの写真、幼い少女2人のほのぼのとした風景、ロットリングのフリーハンドで書かれたと思われるMY SONGのタイトル、キースのピアノよりヤン・ガルバレクのサックスに心奪われ、ジャケットと中身がこれ程ドンピシャリは、なかなか無い物だ・・と、よく聞いたものです。CD化を心待ちしてました。 |
残氓評価:★★★★★
ジャズ、このジャンルは即興一発の生演奏が重視され、オーバーダブや音の加工関係、いわゆるスタジオワークは重要視されていない嫌いがあるけど(そういう事を最初かつ真剣に立ち向かっていったのはマイルス/テオマセロであろう)キースジャレットも卓抜したピアニスト/演奏家であることで基本的にはありのままを録る、という作品が多い。そんな中、この残氓である。これはいわゆるテーマ一発/ソロ散発/あとはのとなれノリでいけ式のジャズとは本質的に異なるのだ。乱暴に言ってしまえばプログレッシブロックに近い、キースのキーキー歌も含めたいろいろな要素を詰め込んで計算し尽くされた壮大な組曲なのだ(ちょっと大げさか)。テーマの部分部分はDEATH AND THE FLOWERあたりから持ってきた感があるが、個々にジャズとして演奏されたそれに比べ、暗から明、平安から混沌、安息から破滅的結末とグッと奥裄のあるコントラストを作り出している。演奏も何度かオーバーダブを重ねているようで特にブラス/リード類が充実している。楽器の音自体も冒頭のキースのバスリコーダーの音をはじめ、深く太く響き渡るようであり、ジャズのレコードとしては相当の作り込みが施されているようなのだ(というよりもワタクシはプログレとして楽しんでいるが)キースジャレットは今では世界最高クラスの演奏家だが、この手のサウンドクリエーターぶりもぜひ復活させてほしいものだ。 |
生と死の幻想評価:★★★
キース/アメリカンカルテットでは一番の人気/著名作。一番に評価する人も多いようだけど、ワタクシにはそれほどぐっとこない。2年後のタイトル曲はTHE SURVIVORS' SITEで見せるようなジャズ/民族音楽/フリーインブロ/他を全て含んだ組曲スタイル。ヘイデンとの全く薄ぺっくないデュオPrayer、強烈な印象を残すテーマのGreat birdと、その前後のカルテット作品の中ではかなり完成度が高いが、いかんせんタイトル通りの重苦しく沈痛な曲調ばっかりでちょっとつらい。ワタクシはアメリカンカルテットの真骨頂は同セッション録音のバックハンドのような躍動感あふれる演奏にあると思っている。その点でやはりTHE SURVIVORS'SUITEをカルテットの最高作としたい。明るい中から突き落とされるように劇的に推移する方が悲劇度が高く、ずーっと暗いだけでも退屈してしまうでしょ。まぁいいかそんなことは。とにかくさんざん引き合いに出してきた最高傑作THE SURVIVORS' SUITE。ここに至る宝石の断片がころころころがっている、という点では興味深いアルバムだ。 |
スタンダーズ Vol.2評価:★★★★★
本作は同月録音の「スタンダ−ズ1」、「チェンジイズ」と3点セットでキース・ジャレットのトリオの最高峰を成していると思います。「スタンダーズ1」のAll the things you areや「チェンジイズ」のFlying part2を聴くと脚でリズムをとり、うなり声をどうしても上げてしまうが、本作を聴くと、うなり声を上げる衝動よりも、クカ−という深い味わいに圧倒されます。自由な即興やキースのうなり声も最高潮の他2枚と比較して、本作の特徴はなんでしょう?それは音楽の深さ、だと思います。本作はスタジオ録音であるためか、ゲイリーのベースも非常に鮮明に、またしばしばソロをとっている点も注目すべきでしょう。この3点のスタジオ録音にはその後のライブ(バイバイブラックバードはあるが)に比べて、綿密な構築が感じられるし、バラエティにも富んだ演奏になっています。本作5曲目ではキースだけでなく、普段ステージでも物静かな感じのゲイリーまでノリに乗って、掛け声まで飛び出します。 ともかく本作を聴くべきなのは3曲めIn Love In Vainの導入。最近のキースのコンサート(たとえば1999,2002東京)で彼が好んで弾いた雰囲気の曲です。それにベースのからみがまた渋すぎる。ベースのソロもよい。6曲めはその後のコンサートたとえば"Standards Live"で聴かれるような渋いマイナー調の演奏。ベースの寂寥感あふれるプレイがグングン突き刺さるようです。 1,2,4でもベースのソロがあり、4の出だしなど荘厳で聴かせます。本作から20年、沢山の感動をキースたちは与えてくれた。そして2001年春、東京でも聴かせてくれたよりフリーな表現は「チェンジレス」、「インサイドアウト」、「オールウェイズレットミーゴー」の流れになるのでしょう。渋谷で聴いたジャックのドラムは1969-1975年頃のマイルスの頂点のような、アフリカを思わせる、原始を思わせる胎動を感じさせました。1983年に一気に全てを完成させてしまったスタンダーズは、20年の時を経て、今度は誰も到達し得なかった新たなフリーな表現を出そうとしつつある、そう思っています |
マイ・ソング評価:★★★★★
カルテットなのですが、極めてキースのソロ的なニュアンス、つまり静謐で優しく、ロマンチシズムに溢れているというニュアンスが強い一枚です。ケルンやブレゲンツ、ソロコンサート、パリコンサートを聞いてよかった、と思う人にはきっといいと思います。 やはり静かで、優しい音の流れを味わえます。 人と一緒に聞くのもいいのですが、私はやはり家族が寝静まった後にグラスを傾けて昔を思い出しながら聞くのが一番好きです。 |
フェイシング・ユー評価:★★★★★
1970年頃、キースはコロンビアと契約していてコロンビア・アーティスト・マネジメント・ホールで初めての無伴奏ソロ・ピアノ・コンサートを行った。その後、グリニッジ・ヴィレッジのマーサー・アーツ・コンプレックスで同じくソロ・ピアノ・コンサートを行っている。しかし、この時の演奏が元で一方的にコロンビアはキースとの契約を打ち切ったという経緯がある。つまりコロンビアはキースのソロを認めなかったのだ。しかしながらこの契約が打ち切られる前にECMのマンフレート・アイヒャーという男がキース宛にレコーディングの提案を手紙で送っている。アイヒャーの提案は次の3つだった。 1.チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、デイブ・ホランド(つまり2台のピアノと二台のベース)によるレコーディング。 2.ソロ・ピアノのレコーディング。 3.ゲィリー・ピーコックとジャック・ディジョネットとのトリオ(!!!)。 これを受けて1971年秋のマイルスとのヨーロッパ・ツアーをぬってソロ・アルバムをやりたいとアイヒャーに伝えた。これが全ての奇跡の始まりだ。1971年11月10日オスロ。たった一回のセッションで本作は完成する。 マンフレート・アイヒャーがいなかったら今のキースもそしてジャズもどうなっていたか僕には分からない。それほど計り知れないほど彼は偉大だ。コロンビアは自身の愚かさをその後嫌と言うほど知る事になる。 |
ジ・アウト・オブ・タウナーズ評価:★★★★
「芳香を放つ、円熟のトリオ美学。」そのとおりの演奏。基本的にいつも通りのトリオの演奏でそつがないのだが、既出楽曲がないぶんだけ新鮮です。個人的には前作「UP FOR IT」よりも興味深く聴きました。残念なのは音や楽曲ではなく、ECMの商法にのらされて購入している自分がいること。キースに70年代や80年代前半のころの音楽に戻してくれっていったところであり得ないし、いまさら何言ってんの?ってことになりましょうが、トリオが仲良く演奏したものを録音して納得したものだけを「ハイ、新作です」とリリースするこの商法。聴きたいし、聴けば確かに感動するのですが、21世紀における「生と死の幻想」を期待する私が馬鹿なのか...。まあ、これが現在のキースを味わう唯一の方法なのであれば諦めます。 |
テイルズ・オブ・アナザー評価:★★★★★
1977年頃のこと、ジャズ界始まって以来のスワッピング経験者(ライナー:油井正一氏より)とは実に恐れ入ったものだが、裏返せば、ジャズにも、人生にもエネルギッシュ且つ真摯に取り組んでいたということか。 さて、本アルバムの構成メンバーは、泣く子も黙る「(キース・ジャレット)スタンダーズ・トリオ」であるが、それが結成される約6年前、ピーコック氏発案・コンセプトに基づきスポット的に最強メンツが集結したのであろう。彼のコンセプトは見事本アルバムで結実したと言ってよい、名盤である。 近年、スタンダーズ解釈によるスタンダード曲アルバムは星の数ほど出ている様であるが、このアルバム全曲ピーコック氏手ずからの作品郡であり、単純比較は出来ないが、「現・スタンダーズ・トリオ」と「このピーコック・トリオ」が、醸し出す雰囲気とを比較して聴いてみるととても楽しい。 主役はピーコック氏なので、力強く重厚で気品あふれる氏の表現には敬服する以外ないが、数年前、スタンダーズとして来日した際のピーコック氏にはその面影もなく(恐らく病気?)、気の毒な限りであった。その音楽会から夜半に帰宅したが、ピーコック氏の物足りなさから、本アルバムを聴いてやっと落ち着けた記憶が甦った。 スタンダーズ・トリオはその名の通りスタンダード曲を扱うから、その名を呈しているわけだが、偶には、本アルバムも思い出し、滅茶苦茶やってもらいたいものだ |
レイディアンス~ソロ 大阪-東京評価:★★★★★
−一度で良いからキースのソロが生で聴きたくて、大阪までこの日は新幹線で(午前中仕事)向かい、日帰りで九州に帰る強行スケジュールでした。しかし、寒く風邪をひいた人が多かったこの日、咳のあまりの多さにキースが演奏を中断した時はみんな凍り付きました。しかし、「今のうちに咳をどうぞ」とユーモアを交えて流して(観客は咳で応えて)別のインプロを−−弾きはじめて、それが中断前とは全く違う演奏だったのは、当然とはいえ感動しました。時に前衛的に、時に天から音が降ってくるような美しさをもって流れるピアノの音にわざわざ九州から来て良かったと思いました。アンコールも数回ありましたが、感動と、新幹線の最終に間に合わないかもという不安で、落ち着いて聞けなかった私にとってこのCDは本当に贈り−−物です。Thank you, Keith. この夜が本当に永遠になったのです。− |
Radiance評価:★★★★★
キースのソロはもう聴くまい、そう思った時期がある。トリオの作品が続き、ソロは実際ブレゲンツあたりで玉切れなんだろうなと解釈していたわけだ。発売されてから何年ものあいだ、「ラ・スカラ」も聴かずにいたのだが、しかし、・・・・。ひょんなことから「ラ・スカラ」を聴くことになった。誰に薦められたわけでもないのだが。(そもそも今ぼくの周囲にはキースのソロに関心のある人がいない。)そんときゃたまげたね。この人はこんな風に進化していくのだ。良くも悪くも聴き手を裏切ることにかけてキースの右に出るものはないんじゃなかろうか。 クラシックの現代音楽を聴くと、ぼくは決まって白けた気分になる。抽象的な音塊があらかじめ書かれたものだというのが何か阿呆らしいから。 「ラ・スカラ」は現代音楽の実践は即興によって試みられるべきことを、クラシックだのジャズだのというジャンルに関わらず示した記念碑となるかも知れない。キース自身の解説に登場するスカラ座の舞台管理人の逸話は多分、額面通りに受け取って間違いではあるまい。 ブレーメン、ローザンヌ、ケルン、サンベア、ステアケース、ブレゲンツ、その当時のソロは確かにメロディアスで聴きやすい。その後はタッチが軟弱で、退屈なものばかりだ。そこに「ラ・スカラ」が革命をひっさげて現れた。これは革命を正当に継承した秀作だ。「ラ・スカラ」と合わせて聴きましょう。 |
枯葉評価:★★★★★
1986年7月13日、ミュンヘンでのライブ、1985年7月のパリでスタートし、87年10月のアメリカで終わるスタンダーズの長期ツアーの中間にあたる。このアルバムはまさにジャズの伝統曲がめじろ押しだ。約1年のスタンダーズというライブ・ユニットが『伝統』を飲み込み、現代の感性で新しく創造してく過程も本腰になってきた事を意味している。ただ、86年の7月のアンティーブ・フェスティバルでは、ライブ照明の熱さに耐えられず3曲目で3人とも演奏やめてしまうという事もあった。音だけでは判別できない状況が常にライブでは存在しているということでもある。この頃のスタンダーズの演奏についてキースはこう言っている。『それはスタンダード・ナンバーとは何の関係もない。ジャズとも関係がない。外見上どう!見えるかという事にも関係がない。それは、僕らが人々の前で、到達する事が許されている状態とかかわるものなのだ。』本当のミュージシャン同志がお互いの演奏を聴き、影響を及ぼし合い、精神を高揚させる。それこそが彼等スタンダーズの音楽なのだと思う。 |
ザ・ケルン・コンサート評価:★★★★★
1975年の伝説のライヴ。大学生の時、彼の武道館でのソロ・コンサートに行くことができた。彼はまずコンサート会場にきていた人々全員にデジタルの腕時計を止める事を要求した。今ならさしずめ携帯電話もだろう。『ソロ・コンサート』あたりでもキース自身が体調悪く、背中を痛めていたといった話があるが、まさに彼のインプロビゼーションは『背中で弾く音楽』といった風情だった。実によく背中が曲がり、よく動く。感心した。 このアルバムはまさに天才が天啓を受けた瞬間の音楽。これからずっとこのアルバムを聴きづけるだろう、そのオーラは浴びようと。あの背中で弾いていたキースを思い出しながら。 |
スタンダーズ Vol.1評価:★★★★★
1983年1月ニューヨークで録音。実はこの日に録音されたアルバムは3枚ある。スタンダーズ1、そして2、『Changes』である。つまりこの3枚のアルパムは3つ子の関係にあると言う事だ。レコーディングされた順番で言うと『Bregenz Concert』の次がこれら3つ子ということになる。 遡って1971年、キースがまだコロンビアと契約していた頃、ソロ・ピアノ2作をライブでやった後契約を一方的に打ち切られたという事があり、その前に当時は全く無名だったECMのマンフレート・アイヒャーからレコーディングの3つの企画提案を受けていた。その3つというのは、1.チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、デイブ・ホランドとの2台のピアノと2台のベースとのレコーディング 2.ソロ・ピアノのレコーディング 3.ゲィリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとのトリオのレコーディング である。そのうちの2が1971年11月10日オスロで吹き込まれた『フェイシング・ユー』であり、3が3人の名前で吹き込まれたのは本作および3つ子の2作ということで、その12年後!ということになる。(ゲイリー・ピーコックの『Tales Of Another』は別として) このユニットがライブでなくスタジオで3作を作ったというところにまず重要なポイントがある。また、2作がスタンダード・ナンバー、1作がオリジナルというのも後のスタンダーズの活動の青写真を見ているようで極めて興味深い。1と2はメンバーおよびアイヒャーの意見でどのように並べる事も出来たのだろう。この後『スビリッツ』という癒しの期間が85年の5月から6月にかけての4週間あり、そこからすぐにスタンダーズのライブが延々と続くようになる。そう考えると、『スビリッツ』以前の自分の中でこのスタンダーズというユニットの可能性と重要性にキース自身が気がついたと言う事でもあるようだ。 個人的にはスタンダース2の演奏、特に『So Tender』が最も好きな演奏だ。 |
星影のステラ評価:★★★★★
1985年7月パリのパレ・デ・コングレ・ストュディオ・ド・ラ・グラン・グルメでスタートしたスタンダーズの世界的ツアーは翌86年も続けられ、翌々年の87年10月にアメリカで12回、カナダで1回の演奏を持って終了する。このライブはそのスタートの7月2日に行われた第二夜のものである。 つまり、『スビリッツ』という癒しの期間が85年の5月から6月にかけての4週間であるから、その後すぐに『これをやらねば』と始めた所作だということだ。彼のやろうとした事は、スタンダード・ナンバー(伝統)に現代的な感性を持ち込む事だった。やっている曲、例えば『星影のステラ』など、ずっとジャズ愛好家に愛されてきたナンバーであるが、キースの持続的なリズム演奏からピーコックの歌うようなソロ、最後はディジョネットが長3度でルバートして終わるという11分だ。 そこには全く新しい感性で洗われたスタンダードを誰しも感じずにはおられない。 あえて言えば、神格化されているビル・エバンス・トリオ(ビル・エバンス(p)、スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds))を遥かに凌駕している。そう断言させてもらおう。 |
マイ・ソング評価:★★★★★
このアルバムはキース・ジャレットの作品ではあるが、ヤン・ガルバレクの作品としても素晴らしい出来栄えだ。この人のソプラノ・サックスを僕は氷のサックスと例えたい。氷といっても冷たいのでなく、氷のように強く美しいのだ。最初にこの人の「ウィッチ・タイ・ト」のサックスを聴いた時の感動は今も忘れられない。ジャレットのピアノも全アルバムで一番暖かい気がする。忘れる事ができない、何度も何度もこれからも聴くであろう名盤。 |
メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー評価:★★★★★
キース・ジャレットという人の演奏の中でひときわ異彩を放ち、最も美しい1枚、それがこのアルバムです。 題にあるとおり、なんとも形容しがたい演奏なのです。ただ、ただひたすらに美しい。しかし、あとにも先にもこのような演奏はキース自身でもこの1枚しか行っておらず、このあたりがジャズらしいというか、本当にキースが自分の部屋にふっと現れて、ピアノを弾いてくれているような。そんな感じに今の私には思えました。 キース特有の唸り声も全くと言っていいほど入っておらず、あれが苦手な方にもお勧めできます。全ての音楽ファンに聴いていただきたい1枚です。 |
ウィスパー・ノット評価:★★★★★
1999年7月5日パリ、コングレパレスでのライブ。約2年間の闘病生活の後、復活したキース。前作『The Melody At Night,With You』は自宅での録音だったが、スタンダーズとしてライブに立てるまで回復した最初のアルバムが本作である。病気から復活した本人も嬉しいだろうが、スタンダーズにもう一度逢えたファンはその1000倍嬉しいに違いない。 演奏できる歓びがこのアルバムには満ちあふれている。出会ったばかりのスタンダーズにもない、85年から87年までの最初のツアーのスタンダーズにもない『生きて、演奏していくこと』の素晴らしさを噛みしめている気がする。 そしてその『生きて、演奏していくこと』のエネルギーを徐々に挑戦していくエネルギーにまで昇華していく。 もう一度スタンダーズに逢える歓びをジャズを愛する人全てに感じて欲しい。 |
オールウェイズ・レット・ミー・ゴー評価:★★★★★
2001年4月東京でのライブ。 1997年初めから99年初めまでの2年間、『慢性疲労症候群』という病魔に冒され音楽活動の休止を余儀なくされたキース。『The Melody At Night,With You』は自宅で録音できるまで回復、『Whisper Not』ではスタンダーズとしてライブに立ち、スタンダード・ナンバーを演奏できるまでに復活。そして『Inside Out』では、アンコールを除いて全てを3人のインプロビゼーションという、新たな挑戦を始めるまで復活を遂げた。 2001年4月23日−30日まで5夜のライブでは、5分の2はインプロビゼーション、5分の3はスタンダードナンバーという構成だった。本作はその内の5分の2のインプロビゼーションにあたるアルバムとなっている。 『生きて、演奏していくこと』のエネルギーを徐々に挑戦していくエネルギーにまで昇華していく。そこに出来上がっていく音楽、予想すらできない展開をスタンダーズは残していく。 |
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