でも、その内容は美しさと違っていて、なかなかキツイものがあります。旅の途中で停車する星々で出会う人たちは、優しくまじめに精一杯生きている人もいるんですが、人間の弱さ・醜さ・見栄・裏切りなど負の側を見せる人のほうが圧倒的に多い。そんな連中を目のあたりにしながら、少年は少しずつ「男」へと成長していく。そしてたどり着く終着駅では、驚きが待っています。
近い将来に、この「銀河鉄道999」の世界のような、機械至上主義、人間が機械に使われる世界が待っているのでは?機械の走る道路を造るために森を切り開き、機械の出す排気ガスが問題になっている。名作とはいえ古い作品ですが、機械への依存度の高い現在だからこそ、ぜひ読んでもらいたい作品です。
又、この作品の主人公星野哲郎が持つ戦士の銃は、この大宇宙の中にたった4丁しかないもので、その戦士の銃を持つものはまさしく英雄ばかり!戦士の銃を辿るのもまた松本零士作品を読む上で重要な意味を持つのだ。さあ戦士の銃を持つ4人を探しましょう。
映画版のスペクタクルとは逆に、淡々と進む物語のなかで、いつしか生身が悪い機械がいいといった単純な世界観が崩れ、懊悩する鉄郎。黙って見つめるメーテルのなかにも、鉄郎だけは犠牲にしたくないという苦しみが生まれてゆく。そして999号はついにアンドロメダの中心、機械の体をタダでくれる終着駅、惑星大アンドロメダに到着した。そこで鉄郎が見たものは……。
五部構成の最終回「終着駅」で、メーテルの母・女王プロメシュームは鉄郎に「鏡の中の自分を殺せるか?」と問いかけ、自らの来し方行く末も振り捨てて「私とメーテルの永遠の世界」とともに未来永劫、何の変化も、そして創造もない安住の時を過ごすがよいと誘惑します。その誘惑を断ち切り、鉄郎とそしてメーテルは、それぞれの道を歩み始めます。思えば999は、鉄郎だけではなく、(いささか不明確ながらも)むしろメーテルという人間の「解放」をこそ描き出した物語でもあったようにも思います。
このデータは、06年02月12日0時39分38秒現在のデータであり、現時点では変更されている可能性があります。