今や大ベテランの脚本家・山田太一と菅原文太の入魂の演技で作り出された平沼銑次の人生は、まさに敗北と挫折、悲劇と苦難の連続であった。まず、万国博!会のフランスはパリで進んだ西洋文明というやつに打ち負かされる。帰国したら時代は戊辰戦争の真っ只中。会津藩士の銑次は賊軍として会津は鶴ヶ城で、さらに北海道は五稜郭で凄惨な死闘を余儀なくされる。明治の世になっても銑次の不幸は変わらない。元賊軍という身分のために受ける差別と屈辱。家族との別れ・商売の失敗、さらには生涯の恋人とのすれちがい。西南戦争では彼をアニキと慕う弟分を亡くし、果ては大久保利通暗殺の冤罪をかけられて、当時まだ原野だった北海道の樺戸集治監にぶち込まれてしまう。主人公がこれだけ辛酸を舐めるのは、歴代の大河ドラマでも平沼銑次が空前にして絶後だろう。
だが、平沼銑次はこうした数々の逆境や困難に出合ってもけっして弱音を吐かない。それどころか、虐げ!られても虐げられてもしぶとく、実にしぶとく生き抜いていく。その強さ・たくましさ・激しさ・不屈の反骨精神。生き方は少しも器用ではない。しかし、そういう無骨な男がときおり見せる優しさの何と温かいことか。だからこそ、銑次の一言一言にはいつも重みと説得力があった。たとえば、敗色濃厚な鶴ヶ城で彼は弟や妹に説く:死んだらいけねえ、生きなきゃなんねえ。また、不当な差別に夢を失いかけた知人に彼は説く:諦めたらだめだす、諦めちゃいけねえ。かつての私はこんな単純なセリフに何度も何度も励まされた。やがてドラマがクライマックスに近づくにつれて、見る者は銑次の生涯の戦いが何を求めてのことだったのかに気がつくだろう。クライマックスは秩父事件。銑次は虐げられてきた農民たちとともに府軍と戦うのだ。生涯のライバルであり、友人だった苅谷嘉顕が残した「自由自治元年」の旗を高く掲げて……。
このドラマは当時の大河ドラマとしては斬新な趣向を随所に盛り込んでいるが、そのひとつが〈主人公を死なさずにドラマを終える〉というものだ。たえずエネルギッシュだった主人公に何とも相応しいエンディングではないか。このエンディングが与えてくれるメッセージをひとりでも多くの人に今回の完全版で受け止めてもらいたいと思う。
このデータは、06年02月12日1時13分37秒現在のデータであり、現時点では変更されている可能性があります。